仕える人に

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。マタイ20・26

イエスの弟子たちは、偉くなりたいという野心でいっぱいでした。それはイエスがイスラエルの新しい王になると思っていたからです。王になったあかつきには、側近である自分たちは高い地位につくことができるだろう。ただ高い地位につくだけではなくて、弟子たちの中でもいちばん上の地位につきたい、そう考えていたのです。
なぜでしょうか。偉くなり、権力を持つと、人を自分の思い通りに動かすことができるからです。偉くなろうとするということは、自分中心、自分第一の考えです。しかしイエスは弟子たちに言います。それはこの世界の価値観だ。神様の価値観は、偉くなりたい者ほど人に仕えるのだ、と。
事実王様になると目されているイエスほど、人に仕えた人はいませんでした。寝る間も食べる間もないほど働き、人々の病をいやし、教えを語りました。そしてついに十字架に自分のいのちまで捨てたのです。イエスは、その自分の人生を模範として指し示しながら、あなたがたも(わたしのように)仕える者になりなさいと、弟子たちに諭します。教会が互いに仕え合うことを大切にしているのはこのイエスの模範にならうことなのです。

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