主がともに行かないならば

主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。 出エジプト33・11
神様は近付きがたい存在です。神道では、「御神体」に神様が宿るそうです。御神体は大切なものですから、気軽に近づいたり触ったりできないようになっているます。人間には太刀打ちできない力を持ち、生殺与奪の権を持っている神様に気軽に近づいたり、ましてや語り合ったりというのは恐ろしい気がします。
実は聖書に書かれている「主」と呼ばれる神様も同じです。だれも近づくことができず、聖所という特別な場所に、特別な儀式をした祭司だけが入って礼拝することが許されているのみでした。ところがモーセという人は、神様と直接語り合うことができました。これはモーセだけに許された特権でした。
現代のキリスト教では、だれもが神様に直接語りかける「お祈り」ができます。なぜモーセの時代にはできなくて、今はできるのか。ぜひ教会においでください。この話の続きをお伝えしたいと思います。

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