しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままになさってください。マタイ26・39
人間だれでも、良いと分かっていてもできないことや、悪いと分かっているのにやめられないことがあります。真面目な人ほど、両者の板挟みになり葛藤しながら生きておられることでしょう。
イエス・キリストは、自分が十字架にかかることが神の計画であることを知っていました。十字架にかかることが神にとって正しいことであると分かっていました。けれども、十字架にかかることには、悲しみがありました。それは単に体に釘を打たれて死刑にされるからではありません。それは十字架の上で、完全に神から見捨てられ、孤独になることへの恐れと悲しみでした。
イエス・キリストは「十字架にかからないで人間が救われる道はないのだろうか」と神に祈り、叫びます。しかし同時に「あなたが望まれるままになさってください」とも祈ります。二つの祈りは矛盾しています。イエス・キリストも葛藤したのです。しかし、三度祈る中で、十字架にかかることを決心し、選び取ります。十字架は、自分の思いではなく、神の思いを選び取るというできごとです。

