世界を覆う神の真実

たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。ローマ3・4

キリスト教では、神の前に悔い改めて、イエスを主と受け入れるならだれでも罪が赦されると教えます。ところが、どうせ罪が赦されるならどんな悪いことをしても構わないのだ、と曲解して受け取る人たちがいます。韓国のセウォル号事件で問題になった「クォンパ」という宗教団体は「救われた者が犯す罪はすでに赦されているのだから罪ではない」と主張します。しかし、それは聖書の教えでもキリスト教の教えでもありません。
神に罪を赦してもらうのは自己満足のためではなく、神と和解するためです。神と和解したのなら、再び罪を犯して神との関係を悪化させるのは筋が通りません。人間は完璧ではなく、罪が赦された後も意図せず罪を犯すことがあります。しかし「人間を救い、罪を赦す」という神の真実は変わりません。それは、神が罪を容認するからではなく、人間が立ち返るのを忍耐して待っているからです。

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