心の割礼

文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。ローマ2・29

もしみなさんが「高級和牛」というラベルが貼ってある肉を買ったのに、中身を見てみると安い輸入肉だったとしたらどう思いますか。名前と中身が違うから取り替えてもらおうと思うでしょう。実は聖書の中にも名前と中身が違っている人たちがいました。パウロという宣教師がそのことを厳しく指摘したというのが、上に書いてある聖書のことばです。
その人たちとはユダヤ人。ユダヤ人はユダヤ人という血筋を誇りにし、聖書で教えられている割礼(男子の包皮を切り取る儀式)を受けているということで、自分たちは特別だと考えていました。ところが、聖書の教えに基づいた割礼を誇りにしながら、聖書の教えを守らないで、周りの人たちに悪影響を与えるような生活をしていたのです。
パウロは割礼はからだに受けるだけではなく、心に受けるものだという聖書の教えを持ち出して、彼らを批判しました。みなさんのまわりには「わたしはクリスチャンです」と名乗る人がいますか。もしいらっしゃったら、その中身がクリスチャンという名前にふさわしいか、観察してください。まわりにクリスチャンがいないという方は、ぜひ教会へきて確かめてみてください。

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