自分を低くする者

だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。マタイ23・12

会議であっても、宴会であっても上座と下座があります。エレベーターや自動車にも上座と下座があります。新入社員研修ではビジネスマナーとしてそういったことも勉強するのではないでしょうか。イエス・キリストの生きていた時代にも、上座と下座がありました。律法学者やパリサイ人といった人たちは、宴会でも、礼拝でも上座に座りたがり、人から特別な挨拶をされることを喜び、自分がいかにも敬虔な宗教家であるように見せるために、衣装を目立たせていました。
しかしイエス・キリストはそれが人にアピールするための見せかけのものであることを見抜いていました。そして弟子たちに、上座よりも下座を選び、先生と呼ぶのではなくお互いに兄弟と呼び合い、自分を低い立場に置くように教えました。それは単なる処世術ではなく、神様に罪を赦されて生きる者であることを自覚するなら、人に対して横柄に振る舞うことはできないだろうという教えです。そういう意味で、教会では社会的な地位の上下で人を見下したり見上げたりするということはしません。神の前では、牧師も信徒と同じ立場なのです。

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