これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け。マタイ17・5
実は資産家で不労収入がたくさんあるけれど、近所の人にはそのことを隠してパートに出ている、という人の話を聞きました。本当の自分が知られてしまうと近所付き合いがしにくくなると考えてそうしているのだそうです。
イエス・キリストもまた、本当の自分の姿を見せずに教えを説いていた方でした。十二人の特別な弟子たちの中の、さらに三人だけを連れて山に登ったイエス・キリストは、太陽のように輝き、旧約聖書の偉人たち(モーセ・エリヤ)と語り合ったのです。キリスト教ではこのできごとを「キリストの変容」と呼んでいます。しかし光り輝くイエス・キリストの姿こそ、本来の姿であり、人間としてこの世界で生活していた姿こそ、仮の姿でした。本当の姿、神であることを捨てて人間になったイエス・キリストの謙遜は圧倒的なものです。
圧倒的な輝きを持つ方、神である方が、人間となって生きたこと。そして十字架にかかったこと。それらはすべてわたくしたちを救い、永遠のいのちを与えるためであること。これが、キリスト教の教えの中心であり、驚くような神の愛の本質です。