招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。マタイ22・14
三月は卒業式のシーズンです。式には来賓が列席しています。だれでもよいから適当に呼んだということではありません。学校に関わりのある方、市町村の要職にある方など、それなりの方が招待されます。招かれた方も、卒業式のために予定を空け、挨拶を準備して出席します。招かれるということは、名誉なことであり、責任をもって出席するのが礼儀です。
神様もまた、わたくしたちを神の国に招待します。そして、永遠のいのちを与え、わたくしたちといっしょに神の国で生きることを望んでいます。神様にとってわたくしたち一人ひとりは、大切で愛すべき存在だからです。この招待に応じる方法は簡単です。神様が自分を愛して招いていることを信じ、人生の方向転換をして、神様についていくだけです。
ところが、多くの人たちがこの招待を拒みました。聖書に出てくるユダヤ人たち、宗教指導者たちはそのさいたる人たちでした。そして現代の世界でも多くの人たちがこの招待を拒んでいます。「選ばれる人は少ない」とは、神様が選ばれる人を選り分けているという意味ではありません。自分で招待を拒んでいる人が多いという意味です。みなさんはこの招待に応じますか?