信仰によって

人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。
ローマ3・28

「信仰」ということばほど誤解されているキリスト教用語はありません。辞書を引くと「信仰とは神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること」と書かれています。たしかに、イエス・キリストを信じることは信仰ですが、では「信じる」とは具体的にどういう行動のことなのでしょうか。おそらく誤解はこの「信じる」ということばの受け止め方がずれているとこから来ているのだと思います。
「信仰」とは神の存在を信じることではありません。イエス・キリストの奇跡や教え、十字架が歴史的な事実であると信じることでもありません。「信仰」は事実を承認することではありません。「信仰」とはイエス・キリストとの信頼関係を結び、人生を任せることだからです。イエス・キリストとの信頼関係を結び、イエス・キリストを人生の主人として生きる人が、義と認められ(神の前に正しい者と認められ)ます。生活の隅々まで、いつもイエス・キリストがともにいて、導き、守られている生き方が聖書の言う「信仰」なのです。

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