このようなわけで、すべては信仰によるのです。ローマ4・16
日本では、家に入るときに靴を脱ぎます。靴を履いたまま家に入るということには抵抗がある方も多いでしょう。長年の習慣はなかなか変わらないものです。聖書の物語にも、これまでの習慣を180度変えるようなできごとが起こりました。それが、信仰による救いです。
ユダヤ人たちは、神から与えられた教え「律法」を重視していました。その中でもとりわけ「割礼」を大切にしていました。割礼を受けていることが、神の約束の民である証拠でした。ところが、イエス・キリストの教えが異邦人(ユダヤ人ではない人々)に広がっていく中で、割礼が必要かどうかという議論になり、「割礼は不要」という結論になり、各地の教会に通達されました。
ユダヤ人のキリスト教徒たちにとって、割礼はいらない、信仰によるのだという教えは驚きであり、受け入れ難くもありました。しかしこのことのゆえに、割礼を受けていない異邦人も、割礼を受けているユダヤ人も、信仰という一つの基準で救われ、一つの家族になることができました。しかし、それこそが神が望む本来の人間のありかただったのです。

